• 2009-12-28 20:21:02
  • 感覚を遊ぶ –感覚、知覚、認知 編-
私たちのこころとつながっている大切な要素には、感覚、知覚、認知というものがあります。
その瞬間に感じる、嬉しいとか、悲しいといった感情。
それらは、それらを繋ぎ合わさった時間、人生にも大きな意味を持っているのではないでしょうか?
前回に引き続き、それらがどのようにつながっているのか、もう少し見ていきましょう。

* * * * * *

目や耳から入ってきた情報は、まず感覚や知覚と呼ばれるはたらきで処理されます。
感覚とは光を見たり、味わったりといった、私たちが外の世界を認識していくときに必要な基本的なセンサーのこと。
普段何気なく使っているものですが、それらによって私たちはさまざまなものを知ることができます。
また、感覚はトレーニングを重ねることで敏感になっていくものです。
何度も体験していくことで、今までわからなかった物の違いがわかるようになったなど、微妙な色や味の違いなどを区別するためのセンサーの感度を、体験を通して研ぎ澄ましていくこともできます。

次の段階では知覚と呼ばれるはたらきがあります。
たとえば、錯視と呼ばれる錯覚現象などはこの知覚の問題になります。
ミューラー・リエル錯視と呼ばれる下の図は、右側と左側の図形の縦線は同じ長さですが、右側よりも左側の図形の縦線の方が長く見えませんか?

錯視.png


このことは、私たちが知覚するということは、個々の要素の特徴よりも全体の中の関係性が問題になることを示しています。

それにここにはもう一つ、大切なことが隠れています。
それは、私たちが頼りにしているのは、物差しで測った物理的な長さではなく、「自分がどのように見えるか」という主観的な判断だということです。

つまり、実際の長さがどうということではなく、自分にとってどう見えるか,聞こえるかということの方が、自分たちにとってはずっと大切なことだということですね。

さらに、こうした全体の中の関係性を大きなひとつのまとまりとしてとらえ、それが何であるか、というような認知と呼ばれるはたらきがあります。
感覚や知覚は、目や耳から入ってきた情報がキーワードですが、認知では記憶の働きが必要になってきます。

自分にとってそれがなつかしかったり、大切なものと感じたり…
自分がそれをどう認識するかということは、感覚を使いこなすとともに、それまでに蓄積してきた記憶の内容、言ってみれば経験という名の引き出しの中にしまってある、自分自身のストーリーと照らし合わせることによって始めて成り立つわけです。

感覚というセンサーの感度や精度を研ぎ澄ますこと。
自分自身の経験の引き出しをいっぱいに満たしていくこと。
知覚や認知といったこころのはたらきは、その一瞬で終わっていくものではありません。
それらは人生という連続した時間を豊かに送るためにも、とても大切なことかもしれませんね。

* * * * * *

2009年も残りわずかとなりました。
今年もKLEIOの五感ブランディングを読んでいただきまして、どうもありがとうございました。
この1年が素敵な年であったことを心から願っています。
どうぞ良い年をお迎えください。

夜景.jpg

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