• 2009-07-20 02:06:56
  • 身近な地域性 -東海道・ご当地名物 編-
物や人が行き交う文化の中継として重要な役目を持つのが、道。
今も昔も、そこではその地域の名物がお土産物として売られています。
今回は、ちょっと時代を遡って江戸時代に整備された東海道とご当地名物の関係について見てみたいと思います。

* * * * * *

■東海道の役割
東海道は、江戸から始まり京都までの日本に数ある街道のひとつです。
1590年(天正18年)に正式に江戸に入った徳川家康は、東海道が政治・経済・交通に欠かせないものと考えたのです。
家康は従来の藩中心の交通政策を、江戸を中心とする全国的規模のものへと改変しようとしました。
そのときに、江戸と京都を結ぶ東海道を定めたのです。
そして東海道には53の宿場が設けられました。
江戸時代の宿場は、大きく分けて二つの役割を持っていると言われています。
一つには、幕府の役人や参勤交代の大名に対する、人馬や宿の提供。
もう一つは庶民が集う賑わいの創出です。
宿場は人々の情報交換の場として、文化の流通路として、周辺村落の産物の販売所として機能しました。
つまり、宿場は地域の経済と文化の中心の役割を担う存在として、東海道はそれらをつなぐ存在として大きな役割を果たしてきたのです。

■ 道がご当地の名物を生んだ?
東海道などにより交通網が発達し、江戸には地方文化が集中することになりました。
そして江戸で地域の土産物が流行ものとして注目されると、旅人たちも競ってそれらを手に入れるようになったのです。
こうした地域の経済の活性化に大切な役割を果たす名物や特産品は各地で出現していきました。
そして需要とともに、より人気のある土産物として、生産技術や品質も向上していったのだと考えられます。
たとえば、東西の交流の十字路として位置づけられる中京地区の鳴海宿にある、有松絞りと呼ばれる絞り染めの伝統工芸品もその一つです。
有松絞りは、浮世絵師の安藤広重による東海道五十三次の「鳴海の宿」の中で旅の土産物として描かれています。
ここからも有松絞りの当時の人気ぶりがうかがえます。
江戸時代以降、絞り製品の大半を生産するまでに成長した有松絞りは、ある意味では道が生み、育てた名物とも言えるのでしょう。

■地域性と有松絞り
有松絞りは江戸時代の初め、徳川家康が江戸に幕府を開いてまもない1608年(慶長13年)に誕生しました。
もともとこの地域は丘陵地帯であるため稲作に適する土地ではありませんでした。
そんな中、この地域の住人である竹田庄九郎らによって、有松絞りは誕生したのだそうです。
きっかけは、名古屋城の築城のために九州から来ていた人々の着用していた絞り染めの衣装を見かけたことだったのだとか。
当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施し、街道を行きかう人々に手ぬぐいや浴衣の土産物として売り始めました。
やがて、有松縛りの美しい図柄が各地で評判になっていったそうです。
時代は進んで、1900年(明治33年)にはフランスの世界万国博覧会で有松絞りが出品され、高い評価を受けたほどです。

* * * * * *

そして現在では、国の伝統工芸品に指定されながらも新しい可能性を模索し続けている有松絞り。
ご当地名物を造り上げるのは、単純に土壌の豊かさだけではありません。
東海道に見られる社会の構造、時代の流れ、そしてそこに住まう人々の創造力や努力などを含めた、全体的な地域性において熟成されていくものなのだと感じます。
それらが最終的にそれらが自然なかたちで調和しているとき、五感に気持ち良い、ご当地名物として人々に受け入れられるのではないでしょうか。

有松絞り.jpg

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